10月 2011
“何かあったときに社会性を欠いた人は「私は運が悪い」と言う。何が原因で自分に世の中が辛くあたるのかが
理解できないのである。しかし、社会性を欠いた毎日の生活の積み重ねの中でそうなっていくのである。
そして「私の人生はどうしてこんなに苦しいことばかりあるのだ」と自分自身が招いた不運を、ただ嘆いている。
その困難や不運を招いたのは自分の過去の行いの集積であることには最後まで気がつかない。
人は成功や失敗の直接の原因というのはよくわかる。しかし「日々の積み重ねの結果そうなった」という、
隠された部分はなかなか理解できない。幸運も不運も突然来ない。
こうして幸運や不運の環境はできてくる。人はそこの場所と時間だけで、そうしたことをしているのではない。
他の場所や時間でもそうしている。
そうした行動をする心をその人は持っているのだから、ほかの場所や時間でもそうした行動をする。その結果、
質のいい人が周りに集まらない。だから幸運もドアを叩かない。” —加藤諦三ホームページ / 加藤諦三の言葉 (via 115)
理解できないのである。しかし、社会性を欠いた毎日の生活の積み重ねの中でそうなっていくのである。
そして「私の人生はどうしてこんなに苦しいことばかりあるのだ」と自分自身が招いた不運を、ただ嘆いている。
その困難や不運を招いたのは自分の過去の行いの集積であることには最後まで気がつかない。
人は成功や失敗の直接の原因というのはよくわかる。しかし「日々の積み重ねの結果そうなった」という、
隠された部分はなかなか理解できない。幸運も不運も突然来ない。
こうして幸運や不運の環境はできてくる。人はそこの場所と時間だけで、そうしたことをしているのではない。
他の場所や時間でもそうしている。
そうした行動をする心をその人は持っているのだから、ほかの場所や時間でもそうした行動をする。その結果、
質のいい人が周りに集まらない。だから幸運もドアを叩かない。” —加藤諦三ホームページ / 加藤諦三の言葉 (via 115)
“
10年ほど前、某美大で「自腹でアートを買う」という授業を行った。「画集」購入は「反則」として禁止。その結果「アートには金を出して買う価値のあるものがない」「展覧会には金を出すが、基本は無料で見るもの」という者が続出した。「では自分の作品は?」と聞くと「自分の作品は例外」となった。
omuraji
2010-03-12 11:08:12
美大生の一人はアート作品を買いたくない理由として、「ウザクて自分の部屋に飾りたくない」と言った。「何かの表現であるアート作品は、生活を共にするのに鬱陶しい」。
omuraji
2010-03-12 11:21:32
そして彼等の多くは「アート作品」の代わりに、家具や、フィギュアや、カレイドスコープやらを買ってきた。「こっちの方がいわゆるアート作品などより、自分にとってはアートです」。
omuraji
2010-03-12 11:23:29
アーティストになろうとしている(多くはなろうとしていないかもしれないが)美大生のこの自己矛盾。しかしまた多くのアーティストもまた、熱心なコレクターではないのも確かだろう。
omuraji
2010-03-12 11:28:55
授業の最後のあたりで「自分の作品を自分で買いたいと思う?」と聞く。「微妙」という答えが帰ってきた。
omuraji
2010-03-12 11:30:00
“自分がその意見が「他の人たちに聞き届けられる必要がある」と信じていればいるほど、語り口は丁寧で穏やかなものになる。
うかつに断定的に語り出したり、聴き手を見下したり、恫喝したりして、「気分の悪い野郎だな」とふっと横を向かれ、耳をふさがれてしまっては、それで「おしまい」だからである。
それで「おしまい」にされないためには、とにかく一秒でも長く自分の話を聞いてもらわなければならない。
すがりつき、かきくどき、「とにかく話を聞いてくれ」という懇請によって相手の足を止め、しばらくの間「耳を貸して」もらわなくてはならない。
そのような語り手の言葉が威圧的であったり、断定的であったり、冷笑的であったりするはずがない。
逆に言えば、その人の言葉が威圧的であったり、断定的であったり、冷笑的であったり「できる」のは、そのような不愉快な語り口に苛立った聴き手が聴く気を失っても「少しも困らない」からである。” —内田樹ブログ「多数派であることのリスクについて」
うかつに断定的に語り出したり、聴き手を見下したり、恫喝したりして、「気分の悪い野郎だな」とふっと横を向かれ、耳をふさがれてしまっては、それで「おしまい」だからである。
それで「おしまい」にされないためには、とにかく一秒でも長く自分の話を聞いてもらわなければならない。
すがりつき、かきくどき、「とにかく話を聞いてくれ」という懇請によって相手の足を止め、しばらくの間「耳を貸して」もらわなくてはならない。
そのような語り手の言葉が威圧的であったり、断定的であったり、冷笑的であったりするはずがない。
逆に言えば、その人の言葉が威圧的であったり、断定的であったり、冷笑的であったり「できる」のは、そのような不愉快な語り口に苛立った聴き手が聴く気を失っても「少しも困らない」からである。” —内田樹ブログ「多数派であることのリスクについて」
“「速く歩きたければ、一人で歩け。遠くまで歩きたければ、だれかと一緒に歩け」”
—メモ:「未来を変えるためにほんとうに必要なこと」(アダム・カヘン著)から « du pope : NAKANO Hajime’s Blog (via 115)
“「必死に考える」プロセスなしに、人が専門知識を「理解」することはあり得ません。”
—新入社員がやってくる──専門知識を教える技術:第1回 “分かりやすく説明”しては、いけないんですか? (1/5) - ITmedia Biz.ID (via markie) (via cxx) (via fialux) (via nakano)
2008-02-27 (via gkojay) (via kondot) (via ssbt) (via aya18) (via fukumatsu) (via stratums) 2009-08-03 (via gkojay) (via usaginobike) (via 115)
2008-02-27 (via gkojay) (via kondot) (via ssbt) (via aya18) (via fukumatsu) (via stratums) 2009-08-03 (via gkojay) (via usaginobike) (via 115)
“一方、精神的な背骨が無い人は、いかなる間違いも許容できない。なぜならば、判断基準は外にあるためどの間違いが自分に致命的でどの間違いが自分に致命的でないかが判断できないから。だって、判断するのは他人。完璧に振舞いたいのだけど、どう振舞えば完璧かわからなくなり、自信が無くなり、自分が嫌いになる。まるで、プライドを殻にした甲殻類みたいになるんだ。判断基準は外にあるので、自分が取れる選択肢は「他人に嫌われないようにする」「他人にかっこ悪いと思われないようにする」「他人にできない奴とみられないようにする」というものしかない。強化も変更もできないんだ。”
—価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習 (via otsune)
2009-02-23 (via gkojay) (via itmi) (via mizutamakillingme) (via 115)
2009-02-23 (via gkojay) (via itmi) (via mizutamakillingme) (via 115)
“二元論的な思考しかできない知性(そういうもの「知性」と呼べるとしたら)では「なまもの」は手に負えないということは覚えておいた方がいいと思う。”
—内田樹の研究室: 2010年04月 アーカイブ (via 115)
“パクリを批判し、オリジナルを礼讚する人間は潔癖が芸術だと思っている。http://bit.ly/1Xgurj”
—Twitter / 横尾忠則 (via kml) (via tender-animal) (via 115, fmfy-deactivated20110915)
“あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。”
—マハトマ・ガンジー (via booby4649) (via tmrrwnystrdy) (via nemoi) (via kondot) (via ssbt) (via lowrence) (via songi, greenz)
2010-02-28 (via yasaiitame) (via gkojax) (via kml) (via nemoi) (via usaginobike) (via 115)
2010-02-28 (via yasaiitame) (via gkojax) (via kml) (via nemoi) (via usaginobike) (via 115)